2020年3月3日、28歳になりました。
たくさんのお祝いメッセージをいただき嬉しゅうございます。
毎年誕生日には、今想うことやらこれからの抱負やらを
徒然なるままに書いています。
27歳を振り返り、自分の現状をみたときに今想うこと…
最近はテレビやラジオで魚の話をさせていただく機会が増えてまいりました。
またTwitterをはじめ、ほとんど魚の写真や映像しか投稿しないSNSも、
多くの方に見ていただき、発見がいっぱいの素敵なコメントを
日々いただけるようになりました。
誰でも簡単に世の中に向けて発信ができる画期的な時代において、
古臭い考えかもしれませんが…
今のような発信ツールがギリギリなかった時代に生まれ育った僕にとって、
この現状は信じがたいもの。
発信すること1つ1つのありがたみと重みを感じてなりません。
お堅いのかなぁ…いちいち考えてしまうんです。
誰に何を伝えたいのか。この言葉を発することに意味があるのか。
誰に何を伝えたいのかについては想うところがあるのですが、
長くなるのでまた別の機会にまわしまして…
何より僕は、自分の現状が不思議なのです。
幼少から一緒に過ごした人は知っていると思うのですが、
とにかく僕は極度の人見知りで、会話や表現の苦手な子供でした。
人と面と向かってもなかなか言葉が出てこなかったし、
作文もなかなか書き出せないし、
いつも教室の隅っこで黙って魚図鑑を見ている、そんな子でした。
それなのに今、番組やイベントで誰かに向かって言葉を発したり、
本を書いたりという機会をいただいています。
伝え方が上手い下手はおいておいて、
機会をいただいている事実、この状況が不思議なのです。
カリブ会という多分野スペシャリスト集団も主宰していますが、
そこで多くの方とコミュニケーションをとれていることも、
やはり不思議なのです。
こうしたことがなぜ起きているのか。
本当のところはよくわかりませんが、
今の自分は、苦手だったからこそなのかなと思っています。
多くの人ができているように、カッコよくスルッとできない分、
なぜ伝えることが難しいのか、どうしたら表現できるのか、
あれこれ考えてきたのだと思います。
うまくできなかった分、伝える機会にありがたみを感じて、
言葉を大切に扱っているのかもしれません。
では自力でここまできたのかというと、決してそうではありません。
両親、周りの大人、カリブ会に集ってくださる“師匠”たち…
関わった皆さんが僕の発する拙い表現に耳を傾け、
ときに優しく、ときに厳しく、常にあたたかく受け止めて下さったこと。
本気で向き合って下さったこと。
それによって少しずつ自信がついて、
自分の中身を外へ発することができるようになってきました。
子供が発した夢や考え方に対して、大人が言葉をかけること。
そこには責任が生じますよね。
かける言葉やとる態度次第では、
その子の人生の方向すら変えてしまうかもしれません。
この責任と熱量は、ネット社会になった今の時代でも、
やはり顔を合わせて時間と空間を共有して向き合うからこそ
伝わるものなのだと思います。
僕は、周りの大人のおかげで、
人生を良い方向に変えていただきました。
このご恩に応えるためにも、
1つ1つの機会を、1つ1つの言葉を大切に、
28歳を過ごしてまいります。
2020年3月3日
鈴木香里武
28歳になりました
2020年3月3日、28歳になりました。
たくさんのお祝いメッセージをいただき嬉しゅうございます。
毎年誕生日には、今想うことやらこれからの抱負やらを
徒然なるままに書いています。
27歳を振り返り、自分の現状をみたときに今想うこと…
最近はテレビやラジオで魚の話をさせていただく機会が増えてまいりました。
またTwitterをはじめ、ほとんど魚の写真や映像しか投稿しないSNSも、
多くの方に見ていただき、発見がいっぱいの素敵なコメントを
日々いただけるようになりました。
誰でも簡単に世の中に向けて発信ができる画期的な時代において、
古臭い考えかもしれませんが…
今のような発信ツールがギリギリなかった時代に生まれ育った僕にとって、
この現状は信じがたいもの。
発信すること1つ1つのありがたみと重みを感じてなりません。
お堅いのかなぁ…いちいち考えてしまうんです。
誰に何を伝えたいのか。この言葉を発することに意味があるのか。
誰に何を伝えたいのかについては想うところがあるのですが、
長くなるのでまた別の機会にまわしまして…
何より僕は、自分の現状が不思議なのです。
幼少から一緒に過ごした人は知っていると思うのですが、
とにかく僕は極度の人見知りで、会話や表現の苦手な子供でした。
人と面と向かってもなかなか言葉が出てこなかったし、
作文もなかなか書き出せないし、
いつも教室の隅っこで黙って魚図鑑を見ている、そんな子でした。
それなのに今、番組やイベントで誰かに向かって言葉を発したり、
本を書いたりという機会をいただいています。
伝え方が上手い下手はおいておいて、
機会をいただいている事実、この状況が不思議なのです。
カリブ会という多分野スペシャリスト集団も主宰していますが、
そこで多くの方とコミュニケーションをとれていることも、
やはり不思議なのです。
こうしたことがなぜ起きているのか。
本当のところはよくわかりませんが、
今の自分は、苦手だったからこそなのかなと思っています。
多くの人ができているように、カッコよくスルッとできない分、
なぜ伝えることが難しいのか、どうしたら表現できるのか、
あれこれ考えてきたのだと思います。
うまくできなかった分、伝える機会にありがたみを感じて、
言葉を大切に扱っているのかもしれません。
では自力でここまできたのかというと、決してそうではありません。
両親、周りの大人、カリブ会に集ってくださる“師匠”たち…
関わった皆さんが僕の発する拙い表現に耳を傾け、
ときに優しく、ときに厳しく、常にあたたかく受け止めて下さったこと。
本気で向き合って下さったこと。
それによって少しずつ自信がついて、
自分の中身を外へ発することができるようになってきました。
子供が発した夢や考え方に対して、大人が言葉をかけること。
そこには責任が生じますよね。
かける言葉やとる態度次第では、
その子の人生の方向すら変えてしまうかもしれません。
この責任と熱量は、ネット社会になった今の時代でも、
やはり顔を合わせて時間と空間を共有して向き合うからこそ
伝わるものなのだと思います。
僕は、周りの大人のおかげで、
人生を良い方向に変えていただきました。
このご恩に応えるためにも、
1つ1つの機会を、1つ1つの言葉を大切に、
28歳を過ごしてまいります。
2020年3月3日
鈴木香里武
関連記事